さとやまから始まる十の物語 – その1「食」

日本の豊かな食文化を世界に発信すること。

里山十帖のメインダイニング「自然派日本料理 早苗饗(さなぶり)」で提供しているお料理は、ほとんどが野菜です。新潟には多数の伝統野菜が残っていますが、金沢や京都のようにネームバリューもなく、また需要もないので流通もしていません。そのため「残っている」けれど「風前の灯火」。数軒の農家、しかもおじいちゃん、おばあちゃんが種を自家採取しながら、細々つくっている状態です。

新潟といえば、「越後味噌」も有名でした。かつて日本海に北前船の航路があった頃は、越後味噌が各地に運ばれたと言われています。しかしそれも過去の話。天然醸造、木桶醸造を残す蔵はごくわずかです。

新潟は長く雪に覆われるため、保存食文化、発酵食文化も深く生活に根付いていました。塩蔵はもちろん、乳酸発酵、麴、粕漬けなど種類もさまざま。しかし1980年代から始まった減塩運動のため、発酵食もこれまた風前の灯火です。今では自家製以外で本物の漬け物を探すことすら難しくなってしまいました。

里山十帖では、このような「食の絶滅危惧種」を守るために、各地の農家から伝統野菜を買い取るのと同時に、契約栽培や契約醸造などを積極的に進めています。

とくに味噌に関しては、里山十帖開業のはるか昔、2002年に雑誌・自遊人で、「木桶醸造味噌・復活プロジェクト」を掲げて以来、誌面で紹介するだけでなく、経済的支援も含めて全国の味噌蔵から木桶醸造味噌を買い取り、販売を行ってきました。現在では「木桶醸造」「天然醸造」の文字をスーパーでさえ見かけますが、そのムーブメントをつくったのは私たちです。

そんな貴重な食材を料理するのは、ミシュランガイド関西三ッ星店「吉泉」で修業を重ねた北崎裕、41歳。吉泉のほか、くずし割烹で一世を風靡した「枝魯枝魯」の系列店で料理長をつとめ、自身でも金沢に店を持っていました。

繁盛していた自身の店を閉めてまで、里山十帖にやってきた理由は「野菜料理で勝負したいから」。

流通が発達した時代ですから、その日に揚がった魚をその日にさばくことはけっして難しいことではありません。三ッ星の日本料理店で修業していたのですから、魚を扱うことに何も問題はありません。でも里山十帖に「舟盛り」はありません。魚と肉はちょっとだけ。ほとんどが野菜料理です。

北崎は言います。「新潟には、金沢や京都より、本当の伝統野菜が残っています。それを世の中に広めるられるって、素晴らしいことじゃないですか」。ICU出身という異色の料理人です。お茶を嗜み、器を愛する芸術家肌。それも里山十帖とフィーリングがあった理由なのかもしれません。

南魚沼産コシヒカリ、日本酒、発酵食、山の恵み、伝統野菜……。ここは単なる旅館の食事処ではありません。日本の、そして新潟の、豊かな食文化を再発見&発信する〝食の体験メディア〟なのです。

クリエイティブディレクター 岩佐十良